昭和41年05月12日 朝の御理解



 どんなに有難そうに大祓や信行を奏上しても、心に真が無かったら神には通じないと云う意味の事を教祖様は仰いましたね。どんなに有難そうに大祓を奏上さして貰うても信行、般若信行の事でしょうね、般若信行を上げても心に真が無かっても神には通じない。どんなに言葉に爽やかな言葉を以て有難そうに申しましても、心に真が無かったらそれは神様にも通じんだけではなくて人にも通じない。
 人を動かすと云う力にはならない事を知らねばならないと思いますですね。どんなに有難そうに金光様の御信心ちゃ有難いと、例えば言うておってもその人の心に真がなかったら、と云う事は真からのものが、自分の心から心の底から有難いと思うていなかったら、それは人には通じない。勿論神様にも通じないとはっきり仰っておられます様に。人にも通じないと私は思うんです。ここで私が如何に有難そうに有難いじゃないのと言っても、私自身が有難いものを持たずして、皆さんに通う筈はないと私は思う。
 勿論それがおかげになって来る筈もないと思う。ですから問題は如何に私共の心の中に真が必要であるかと。真なしに、は私共の心の中に有難いと云うものは頂けないと云う事です。有難いと云うもの事は何と云うですか、酔狂涙にくれると有難涙にくれる。そう云う様な事だけではないと思うです。事実お道の信心を頂いていると云う事は、日々教えを元にして、生活が出来て居ると云う事が有難いと云う体験なんです。
 その体験が私は心の中に、何時も有難いと云うものを感じる事が出来、頂く事が出来るのだと私は思う。どんなに有難い教えを頂いてもです、それがその有難い教えを頂く時は、それは例えば、なんなら講談なら講談を聞いても涙を流れるのですから、浪花節を聞いても矢張り感激するのですから、そう云うものではない有難い。
 例えば教えを頂いてその教えが、本当に行の上に現れて、それが体験になって現されて来る時に、私共は真の有り難いと云うものを、感じる事が出来るのではなかろうか。その感じておる有り難いと云う心で行動さする、言葉に現す。実意に実意な言葉、実意な態度と云う事は、先ず実意な心なのですけれど、その実意な心と云うのは、何処から生まれて来るかと云うと。
 神様のおかげを受けておると云う事。金光大神の御取次を頂いて、日々こうしておかげを受けておると、云う事の体験から、生まれて来るもんだと私は思う。神様のおかげを頂かねば、又神様の、おかげを頂いていると云う事をです、体験さして頂く時に感じる心を有り難い心だとこう思う。そういう心を、私は実意な心と思う。ですから、実意な思いが自ずと態度に現れて来る。
 その実意な思いが、自ずと言葉にも現れて来るのであって、初めて人にも通うのであり、神様にももちろん、通うのであると云う事を、解らねばいけないと思うですね。どうでしょうか皆さん、そうどころじゃないと思われりゃせんですか。どんなに有難そうに大祓をね、又信行を奏上さして頂いても、心に真がなかったら神様には通わない。心に真が無かったらと云う事を、今日は私は皆さんに聞いて貰っています。心に真がなかったら神に通わないにも、それは勿論人には通わないと私は思うのです。
 昨日、総代さんの高山さんところの、毎年十一日が、あちらの宅祭が御座います。皆さんこちらからおかげ頂まして、まあ有り難いと云うよりも、何かしらんけれども、それは程度による事で、御座いましょうけれども、何とはなしに、生き生きとした、何時ものあちらのお祭りにはま、珍しい生き生きした、お祭りで御座いました。あちら参りましてから、あの御神前に出らさして頂きました時に、一番初めに私が頂きます事はんね、こんなあの盛り篭です。
 盛り篭に新鮮な果物がこう盛ってあるのに、それはまだいいんですけど、神選と一緒にそれこそもう生き生きとした鯛が盛り合わせてあるんです。果物と。魚はまあ生臭ですよね、とそれと新鮮な果物と盛り合わせてあると云う事は。私はそれはまあ皆さんに申しはしませんでしたけど、まあほんと云うたら、まあ、不精進と云った様な事ではなかったろうかとこう思んですね。
 生臭が一緒に盛り合わせてあると云う事は、言わばあの何とはなしに生き生きとしたお祭りではあったけれど、その神様の目からご覧になったら。まだ不精進、揃道が足りないと云ったものを私は感じた。その事を昨日高山さんには申しませんでした。けどまあ、果物にせよ鯛にせよ新鮮さを以て尊しとするものばっかり、有難しとするものばっかり、果物だって新鮮さが落ちた果物は値打が無いです。
 どんなに腐っても鯛と云うけれどもま、腐った鯛は実際に置いてないです。矢張りお刺身の一つも取れる様な、生き生きとした生鯛でなからねばです、そのお魚の値打が無い様に信心も同じ事。新鮮な果物やら鮮魚と同じ様に新鮮度を落とした信心では値打はないです。お互いが例えばです何十年信心さして頂いているからと云うのが値打じゃないです。それが本当に椛目にまだ二、三日しかお参りした事が無かってもです。
 なるほど天地の道理を聞き、天地の御恩徳を聞かして頂いてから、今迄は知らなかったこう云う天地に、有難いお徳が漲っていた。それを知らなかったとそれを気付いただけでも、何となく有難いものを感じられる。生き生きとした有難さにと云うものが、その生き生きとした有難さに、そのおかげが頂かれるものなんです。そこんところを信心が段々深くなり、広うなり高尚になってなりしてから。
 しかも信心は新鮮な、生き生きとした、喜びに満ちたもので、なからなければならないと云う事を。三代金光様は信心は、日々が新で御座いますとおっしゃる、新なものが、さらなものが頂けると云う、そこに、どう云う信心をさして頂いたならばいいか、お互いが工夫しなければならない。昨日はその御理解、私共の、例えば信心がです、自分のものになると云うこと。
 例えば朝参りなら朝参りと云うものが、昨日私の御理解を頂いた後に、原さん達夫婦がここにお話をしたんです。原貴男方が椛目に朝参りなさる様になって十五年になる。しかもそれも夫婦で十五年間続けられておるのが有難い。どうですか、原さん初めから毎日参らにゃんと云うとったら、初めからへこたれとったけれど、それが泣く泣くでも辛抱し抜かれている内に、今の朝参りはどうですか。
 最近なんかもう、朝の五時の御祈念には、ちゃんとお参りになっとられるのです。それがむしろ有り難いのである。楽しんである。少しは眠たいのですけれど、その修行がもう原さん達夫婦のものになっておると云う事。だからもう、朝参りは夫婦のものになったんだから、一つ是からはひとつ、実意丁寧が本当のものにならないといけませんよ。実意丁寧とは朝参りの事。
 眠たいものではありません。実意丁寧とはそんなに眠たいこっちゃない、きついこっちゃない。全ての事に何事にでも、実意を以っておかげ頂こうと云う信心がです。初めの間は、そこに心を使うとかねば出来ませんけれど、それが真実、自分のものになってしもうたらです、実意丁寧にならにゃあ生きられない、実意丁寧にならにゃ馬鹿らしいと、云うことになってくる。
 実意丁寧の商売が出来、実意丁寧の仕事が出来る。そこにそれが、お客さんに通わぬ筈はないのであります。もちろんそれが神様に通わない筈はないのです。云う様なきのう朝の御理解だったんですよ。その事を特に原さんに申しましたんですけど、そう云う私はその辛抱がですたい。してゆく内に自分のものになっていく。それから次にあの棒樫と云う事を頂く。植木に樫木をこう棒の様に積み込んである。剪定あれを棒樫と言うですね。木辺に奉が書いてある。
 樫は木辺に堅いと字が書いてある。棒樫とはどげんこつじゃろうかと思うたら、心と云う字を頂いた。棒とは辛抱の事だなと私は思うた。樫とか木は心、堅い心と私は思うた。例えば信心辛抱と言う事はです、堅い心がなからねば出来ないと云う事だと思うた。そこから私はこの新鮮な喜びとか新鮮な信心、日々が新で御座いますと云う様な、私は信心が生まれて来るのだと思います。
 ここの辛抱の所をいい加減にしたら、もう決して新鮮なものは生まれて来ない。ちょっと辛いちょっと眠たいけれども、そこを辛抱さして頂いて抜け切った所に、辛抱して良かったと云う事になって来るでしょうが。言いたいけれど金光様と言わなかった。辛抱し抜いた後にですああ言わんで良かったと云う心に新鮮な喜びが頂けるのですよ。信心辛抱こそがです新鮮な喜びを私共の心の中に頂けるものだと云う事をま感じます。
 どんなに有難そうに信行を大祓を奏上しても、神は喜びもしなければ通いもしない様に、私共がそれが人にもそうであろう。金光様の信心とは有難いどれだけ有難いか、これからは口だけが言わば言うておる、それこそ仁丹含んでおる様なもんで口の中は涼しいけれどそんなにありが効果があるもんじゃない。口中が爽やかなものだけ如何に爽やかに口中だけにです有難い。信心ちゃ有難かばのと云う程度のものでじゃいけん。
 口には言わんけど心から本当有り難い。日々こうやって信心の稽古をさして頂いているのが、有り難いと云う心に必ず体験が生まれる。その体験に又有り難い、お互いが有り難いと云うておる思うておるその有り難いを、再検討さして頂いて果してそう云うあの信心辛抱から生まれておるものか。真から私共の有難いものが生まれておるものか。真がなければ神には通じんとおっしゃる。
 真と云うのは真実有難いと云う事だと私は思う。真実有難いと云うものを求めて只今申します様な修行がなされなければ辛抱し抜かねばならない。そう云うおかげを頂きたい。今私共が今口に言うておるその事が、果して有難いと云う事から有難いと云う心が根であって、その言葉に表現されておるのか。
 態度に出て居るのかそれが、例えばお商売さして貰うならば、お客さんにその事が心から有難いと云うものを以て、お客さんに接しておるのかと云う様な事を検討してみると。成程これでは本当の繁盛にはならん。これではこの人に通う筈はないと云った様なものを検討して。改めて行かねばならんと思うので御座います。
   どうぞ。